2014年12月2日火曜日

「けいおん!」に学ぶ格差問題


外資系OLのぐだぐだ 日本の格差社会は「差が見える」から問題になる:サイゼリヤで食べることで”気遣う”富裕層

そして、そういった場合に遠慮するのは「富裕層」だ。
ご飯を食べるとき外ならサイゼリヤかさくら水産で、
それでも相手のペース以上にお酒を飲んではいけない、
海外の話はしない、暮らしぶりが判るような話ではなく
「男女間の友情ってあると思う?」
みたいな、誰とでも話せる話題を選ぶ。
それでもちらっと現状が もれることがある。
そのとき、富裕層は「しまった」と思い、
貧困層は「なぜ”同じ”なのにこんな差が」と思う。

格差が問題に見えるのは、目に見える場所に差があるからだ。
派遣社員の前に正社員が座っていて「同じ」仕事をしている。
「同級生」で貧富が明らかに違う。
平等だといわれているのに実情が異なるとき、
怒りが生まれるのは当然のことである。

そういう意味で、私は階層別に学校を分けたり
職場を分けたほうがいっそお互いにやさしくなれるのではないかと、
一番最初のサイゼリヤの件を聞いて思っている。

大きな格差問題と、 個人のコンプレックスは別問題。
確かに、収入が同じ人を並べるほうがコンプレックスは発生しにくいが
それで格差問題は解決されない。

まあ、派遣社員と正社員で同じ仕事をしてるのはどうかと思うが
「同級生」を貧富で分けろというのは反対。
だってその世界ではレスポールが買えない唯と、
金持ちのムギがバンドを組めなくなるから。


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「けいおん」の大人飲み会はサイゼリヤか?


もちろんこれはアニメのとても平和で理想的な世界だからこそ
格差問題的なコンプレックスは描かれてないわけだが、
ではこれを、現実の親仲間の飲み会で延長するとしたらどうか?

ムギはサイゼリヤに合わせても楽しくできるだろうが、
そんなことしなくても
ときどきムギがランチでもディナーでも奢ればいい。
海外の話だってしてもいいし、
なんなら海外の別荘へ招待したらいい。

友人関係で大事なのは、
一緒にいて楽しい時間を過ごすことであって
ただそれだけのことでお互いを認め合うことであって
そのとき金を持ってる奴が、
そのとき金のない奴の負担をすることである。

劇中でも、レスポールをムギの力で大幅値下げしたり、
別荘へ2度招待したように、
要は富の再配分を国のみに頼らず、
友人や仲間の中で行うことだ。


低所得者層は「気持よく受け取ること」を覚える必要がある


富裕層で大事なのは財力で友人の時間を「活用すること」であり、
低所得者層はメンツとかコンプレックスとか考えず、
子供のように「気持よく受け取ること」である。

どちらかというと問題なのは低所得者層のコンプレックスであって、
気持よく受け取ることができないことにある。
宵越しの銭は持たないという勢いの江戸っ子ならともかく、
お金持ちの視点が無く、低所得者層の金銭感覚では
富裕層のちょっとが「重い」ので、どうしても気後れしてしまう。


富の再配分で特に問題なのは低所得者層に「富を受け取る理由がない」ことにある。

 
国の財源では強引にばらまくことが出来ない。
では共産主義ならいいかというと、
それでは配るための生産力が上がらない。

実は会社としての富の再配分が成り立っていたのが
「年功序列」
何しろ「能なし」でもまともに歳相応の給料が得られた。
企業でほんとに金を稼ぐ部署は2割程度と言われる。
今の成果主義や派遣社員では、その2割しか大きな給料がもらえない。
年功序列だと企業の負担は大きいが、
そのぶん民間の購買力が高いので経済は回しやすい。

しかし、年功序列はバブル崩壊やリーマン・ショックという
巨大な波には耐えられなかったゆえ、
会社としての富の再配分は過去のものになりつつある。
というのは嘘で、別に成果主義や派遣社員制度でもそんな波には耐えられない。

人を切って法人を生き残らせるための、
短期的視点での成果主義や派遣社員への切り替えだった。
長期的に見て経済を回復するために、
法人や株主と同等に「(だめな)人(も)」を扱って欲しい。
富が回らなければいずれ富める者もジリ貧になる。


富の再配分を「国」「会社」「友人」の3段階で考えてみる


けいおんから学ぼうというのは、
富の再配分をその友人関係で考えて
「友人関係の富の再配分」を実現しよう。
となる。

さすがに直接金銭を与えるのは気が引けるし
(税金的にもまずいので)
富裕層はちょっと嘘をついてでもお金を見えない形で、
チケットが偶然あたっただの、 あれこれが余ってるだの
それこそレスポールの値引きや別荘じゃないけど
間接的な支援をしたらいいと思う。

低所得者層がここで遠慮するのは、それが「借り」になって
頭が上がらなくなると思うから。
それは貸し借りではない、唯とムギにそんな関係はない。
富裕層は友人関係に「貸し」のつもりで支援などしない。
 
例えば1万円分の負担が、自分にとっては全財産の2%でも
富裕層には0.0001%の出資だったりするので、
自分は人生の0.0001%の時間を出資して
一緒に楽しく過ごすという交換で考える。
それでも気が引けるならプラスアルファで場を楽しくするよう務めたらいい。

お互い嫌な頼み事は断っていいし、
富裕層のムギが困ったときは
出来る範囲のことで一緒に考えてくれたらそれでいい。
いつか富裕層が逆転したら自分も負担するつもりでいたらいいし、
自分よりさらに低所得者層には0.1%肩代わりしてあげればいい。

お互い貸し借りなど意識しないことが大事。


富裕層と低所得者層の友人で金を廻すミクロのノブレス・オブリージュ


岡田斗司夫は就職難の大学生に対して、
「誰か1人パチンコ屋の息子を捕まえて、社長になってもらって
好きなアニメやゲームを作ったほうがいい。」
といったが、ほんとにそれもありだと思う。

格差問題をミクロ側から解決する場合、
奢られても貸し借りはない、そのとき金を持ってる奴が出す。
そういう気持ちのいい関係を築くためにも、
学校は金持ちでも貧乏でもいろんな奴を混ぜたほうが楽しくなると思う。



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