2014年11月17日月曜日

UXエンジニアの人がたぶん言いたかったこと。



モンハン3rdとパズドラに言いたいこと - UXエンジニアになりたい人のブログ


凄い炎上しててワロタw

めちゃめちゃ叩かれてるけど、遅れてツッコむからには
あえてこのブログ主が正しい、
パズドラやソシャゲアプリは(ソーシャルゲーム)
もっとチュートリアル改善でユーザーを取れる、
という悪魔の証明でも考えてみよう。

議論のすれ違い原因は後で書くとして、

仮説の結論は、

システム開放が段階的ではなく最初から全開で
チュートリアルの段階が急過ぎるのが問題。
まだゲームが作業レベルで
ユーザーのプレイ限界に達してないのに、
必要になってない段階なのに
スキルや合成や魔法石のチュートリアルタイミングが早すぎる。
この説明過多で取りこぼしてるユーザーが
それなりにいる可能性が高い。


まずブログ主の視点で大きく叩かれてる原因は、


1、ユーザー体験をゲーム内のみで見てること。


友達に聞く、Webで調べるという
ゲーム内で完結してない体験を否定している。
これは1人でプレイする人を考慮しつつ、
いちUXエンジニアを目指す場合
Webなどのコントロール効かない分野を排除したいからかな。

僕は昔ファミ通の発売日欄に コナミ:シューティング(仮)
と書かれただけで何の発表もないのに勝手にワクワクしてたので
その後の新作発表のときも、 ゲーム買うお金貯めるのも、TVのCMも
ゲームをクリアするまで全部楽しい体験だった。
当然みんなで情報交換するのも
そのゲームについて後で語るのも全てゲームの一部だと思う。

あえてナイトトラップやデスクリムゾンというクソゲーを中古で買って
みんなでツッコみながら遊ぶのも楽しかったし。


2、興味が薄いのに「流行ってるから何かを学ぼう」とゲームを「遊ぶ」のではなく「勉強」してること。


説明放ったらかしのウルティマオンラインを楽しんだブログ主なのに、
モンハンやパズドラの説明が難しいとか、
こいつ何を言ってるのか全くわからないと大きくすれ違う点。

普通ゲームは「面白そうだからやってみよう」で
動機づけがされるのであって、ブログ主のように
「流行ってるから分析しよう」でやる人は職業病だ。
時間がない大人でこの作業は疲れる.

ゲームの動機付けは6800円のパッケージゲームなら、
子供こそある程度前情報をもって慎重に選ぶし、
ジャケ買いしたとしても、
6800円払ってるのだから元を取ろうと
それがクソゲーでも必至で理解しようという動機が働く。
(大人が6800円はたいしたこと無いと考えるとこの動機も無くなるが)


特に問題なのは「基本無料」のパズドラで、
流行ってるからという理由かつ無料でスタートできるからこそ
最初のチュートリアルすらウザくなる。
プレイ動機がないものをいくら親切丁寧に説明されても
目にはいらないし、頭に残らない。

ウルティマオンラインをやる場合も
好みのゲームという動機はあったはず。
「モンハン」と「パズドラ」には
「好みのゲーム」という動機がブログ主にないので、
(3マッチパズルは好みでも、めんどくさい合成が好みではないとか)
逆にそれだけ売れてるゲームなら
初期プレイ段階に動機が無ければいけない、、
と考えるからおかしくなる。
 任天堂のゲームだってどれだけチュートリアルが優れてようが、
肌に合わない、興味を持たない人だってたくさんいる。
任天堂のゲーム全てがモンハンみたいに400万本超えてるわけではない。


ソシャゲアプリなどはまだまだチュートリアル離脱者が多い

 
究極的には「ダウンロードした90%が1年間継続プレイしています。」
となっていなければ、何かが間違ってると考えても
いいんじゃないだろうか。
この数値が現実的ではなくてもそれぐらいの気持で研究するという意味で。
例えばもしパズドラが3000万ダウンロードで、
チュートリアル離脱者がわずか500万人で収まっていれば
それは優秀な数字なんだろうか?

 
だいたい「興味ないけどとりあえず流行ってるからやってみよう」程度で
ダウンロードした客だと、せっかくダウンロードしてもらったけど
最初の動機が薄いので、ブログ主のように
チュートリアルで取りこぼす可能性は大きい。

僕もソーシャルゲームで親切丁寧に
数分間使ってチュートリアルされるのは
とてもめんどくさく読みたくなくなっている。

それはゲーム本編の説明というより、
だいたい合成とガチャとショップと複雑な属性
の説明がめんどくさい。
最初から課金したいわけでもないし。

チュートリアルはシンプルなゲームのみにして、
なるべく文字を使わないで、 なるべくチュートリアルなしで
とりあえず好きに面白いところまで遊ばせてほしいと思う。


ゲームはシンプルだが、合成というシステムがからんでやたら複雑な印象になる


長く遊んでもらうためにも、ガチャを回してもらうためにも
合成という長期低成長システムが必要となり、
この合成を際限なく拡張するために
たくさんの属性が必要になってくる。
 
極端に儲かるゲームはこのフリーミアムなモデルでの成功例がほとんどなので
ゲームを効率よく進めていくには
この一見複雑なシステムを覚えなくてはいけない。
モンハンはフリーミアムではないけれども、
レアアイテムを探し武具を際限なく鍛えていくという意味ではこの合成システムに近いし
だからこそ何千時間でも楽しめる長期低成長システムとなっている。

まあここで、最初に6800円の壁があるモンハンは
課金で稼ぐというところがメインではないので、
最新作ではカメラ問題もある程度解決してるようだし、
ブログ主もどっちかというとパズドラに納得してないようだし、
ソシャゲアプリのチュートリアル改善に限定しよう。



プレイヤーが限界を感じた時に、システムを開放する


もし僕が感じてる問題点だけなら解決策はわりと単純じゃないだろうか?
最初は合成も、ショップも、ガチャも、属性も説明なしで、
デフォルトモンスター設定のみでアーケードゲームなみに
ゲームの面白いところだけを体験させる。

ゲーセンのアーケードゲームは回転率が重要視されるし、
ゲーム画面で一見さんを捕まえなくてはいけないので、
ひとめみて面白くない理解できないゲームは売れない。
システムも文字説明も最小限にしなくてはいけない。
当然筐体をひとりじめするような、めんどくさい合成システム等はない。
オープニングもデモも最初から全部カットできるようになってるし
演出の1分1秒を削りながらも楽しめて、
初見プレイヤーを満足させる作りになる。

とすると
フリーミアムのアプリもLv5までは
合成、ショップ、ガチャ、属性を解禁せず、
Lv10ぐらいまでは何もカスタマイズせず
買わなくても気持よく勝てるようにして、
負けたらはじめてどうすれば勝てるか?
というチュートリアルやヒントが出てきて、
そこからひとつづ開放したらいいのではないか?
このときショップの開放は最後でいいと思う。


こうすれば、ブログ主のように
「まだ個人的な興味はないけど流行ってるから」で
ダウンロードしてくれた客にも、
アーケードゲーム的な楽しさの動機付けまでは
プレイしてもらえるのではないだろうか?


いやむしろなんでそうなっていないか?

なぜ、ソシャゲアプリのチュートリアルは説明過多なのか?


もちろんソシャゲアプリチュートリアルでも
システムの段階的開放をしているものもあるが、
ブログ主や僕が感じたように、
まだ楽しいと感じるほど遊びきってないし、
自分の限界を感じない作業レベルの1-1や1-4で、
いきなり合成だの、 課金魔法石だのの使い方をいっきに説明される。


要は「早く課金して欲しい」から、
そのために「合成」やら「属性」やら全部を最初に説明する必要がある。

実際にスタートダッシュから大人課金して
「オレ強え 」を味わう人こそ、一番大事にしたい客だろう。
つまり「1分1秒でも早い収益化」と「課金額を最大化」 したいという
メーカーの気持ちが、いきなり情報過多なチュートリアルを
作り出しているのではないか?

あるいは、
「すでにゲームルールに慣れてそれが当たり前になってしまった
開発者やテスター視点」でチュートリアルが作られている場合も
作ってる側には読まなくてもいいほど当たり前の事なので、
いきなり情報過多になることがある。
これは調整にあまりコストかけれないようなコンシューマゲームでもよくある。

「モバマス」や「艦これ」など元から動機付けの強いゲームであれば
それでも構わないかもしれないし、モンハンの前作のユーザーであれば
新システム分のチュートリアルだけでも構わないだろう。

でも本来のユーザー体験からいえば
チュートリアルの最高のタイミングは「必要なときに」「必要な情報」である。


 プレイヤーは必要になってからでないとチュートリアルを覚えない


プレイヤーがゲームオーバーするなり、
プレイが厳しくなってから情報解禁するほうがずっとルールを学習しやすい。
学校の数学や英語じゃないけど、
人は必要になってからじゃないと、物事を覚えないからだ。

いま多くのソシャゲアプリが、
「まだ必要でない初回プレイに」「合成、ガチャ、属性、課金情報」
ひと通り提供してるので、チュートリアルの必然性も印象も弱く、
なぜこれをやらなければいけないのかが
似たゲームで慣れてない人には、
ただアプリランキングにあったから
ダウンロードしてみた程度の人にはわかりづらくなる。
将来これがなぜ必要かがわからないうちに
「数学」 や「英語」を教えてるみたいに。


どうせモバマスで大人課金する人はLv5なんてすぐ達成するので、
そんなプロプレイヤーに合わせて
1-1にチュートリアルの洪水を作ることはなく、
プレイヤーの限界に達して、合成が必要なときに
合成チュートリアルが出てくる設計の方が良い体験となるのではないか?
場合によってガチャはもっとずっと後でもいいのではないか?

元のブログ主が言いたかったことも、
そういうことではないかと推測する。


以上なんだけど、この結論にはひとつ疑問が残る。



しかしモバグリ時代からチュートリアル離脱を徹底研究してるソシャゲメーカーがそんな見落としするだろうか?


ソシャゲの市場規模からすると
各メーカーはこのチュートリアル離脱をものすごく研究していて、
KPIとか、課金に関するタイミングも
今はとんでもなく磨かれているはずだ。
なにせ動く金額が金額だけに、それこそ給料日から心理学まで含めた
徹底した調整がされているはずである。

なのに、心理学以前の
「必要なときに」「必要な情報」はあまり守られていない。
ここがとても腑に落ちない。
コンシューマのゲーム屋だと
「プレイヤーがミスした時に、何が悪かったか、どうしたらよかったのか?」
の情報がゲーム内で説明臭くなく自然に提供されるのは
名作の必要条件ですらあったりするのに。
(謎解きゲーは別として)


とすると、わりと長期でそういう実験を何度かやったけど、
「情報洪水でも最初に全部説明しないとユーザーのクレームが多かった」か
「Lv5まで課金開放を待つと大人課金する人が激減した」とか
「そんなことしても最初から興味あるユーザーしか、
その情報洪水をものともしないユーザーしか結局残らなかった」
とかだろうか?
でもこれは自分で書いててあまり説得力はないかな。


予想としてはチュートリアルや機能説明は、
なるべく必要なときに表示するよう分散しているが、
課金だけは会社としてゲーム開発の最大の目的ゆえに
一番最初から使えなければいけないものと
「勝手に思い込んでた」ので、
必然的に合成や属性の説明も最初に集中してしまったと思うけどどうでしょう?

ユーザーを取り込むという土台を広げるためには、
別に課金最大化のために
一番最初から課金が使える必要はないと思われます。

とはいえ僕はソシャゲ作ったことがあるわけじゃないので
もっと単純な事を見落としてるかもしれません。
もし、ソシャゲ開発者でここを見てる人がいたら
最初に全てを説明しないといけないもっともな理由があれば
ぜひ匿名のコメントでお願いしたいところです。

2014年11月9日日曜日

なぜ「無理しなくていいんだよ」「幸せになってください」「頑張ってね」など善意の言葉が人を傷つけるのか?



かつて被害に遭った身として、ブコメ読んで腹が立った。 http://b.hatena.ne.jp/ent..

被害に遭った後もケロッとしていたら、周囲の人に「傷ついていないふりをしているのね。無理しなくていいんだよ」と言われた。こちらは普通に生活しているのに、「普通の生活を送ることによって強がるほど増田は壊れてしまった」と、カウンセリングをすすめられた。付き合っていた彼氏は、友達に「レイプされても普通にしているなんて増田は明らかに重症だ。いつ自殺してもおかしくないのでそばにいてあげて」と言われ、「ハァ?」と思ったらしい。

彼ら彼女らは、私がふさぎ込んで社会生活を送れなくなることを望んでいたのだろうか。手首でも切ってやれば満足だったのだろうか。

「レイプ被害者は傷ついていないとおかしい」という「常識」がはびこっていると、「善人」が被害者に迷惑をかけまくっている。何度も何度も「善人」に「傷ついていないふりをしている」と言われれば、「自分の心の底では確かにそうなのかもしれない」と思い込んで本当におかしくなってしまう人だっているかもしれない。

レイプは心の殺人?死なねえよ。勝手に死んだことにするんじゃねえよ。死んでも死んでやらねえよ。

 
増田に賛成なのだが、
どうもレスやはてブ見るとこういう時に
どうしたらいいのかわからない人をみかける。

僕の意見としては、いちいち触れること無く「日常」のまま接する。

ただ、周りに周知され
外から見てはっきり落ち込んでるようであれば、
落ち込んでることに共感して欲しいのであれば
「落ち着くまで仕事を休む」
「軽い仕事にする」
「いつもの仕事をする」
の一番気が楽な選択肢でいいよ、ぐらいの提案はする。

その上でやはり「日常」のまま接するし、
いつもの仕事に段階を追って近づける。
哀れみや同情はいたずらに傷つけると思うからだ。


善意の言葉は諸刃の剣で


「無理しなくていいんだよ」
「幸せになってください」
「頑張ってね」

善意で言われたこの言葉は、前提条件の枕言葉が隠れている。

「アナタは無理してるけど、無理しなくていいんだよ。」
「アナタは幸せではないから、幸せになってください。」
「アナタは頑張らないとダメ、だから頑張ってね。」

と、善意で究極のダメ出しをしている。
善意で言ってくれる人達にはこの枕詞が無意識にあって、
後半の部分だけしか意識して発言してない。
だから言われた方は傷つく。
たくさんの善意の同情が、
「アナタは不幸だ。不幸でないといけない。」
というメッセージとなって複数の人が
毎日何度も何度も送ってくるからだ。


自分で現在進行形に言うのは構わない。


「楽ちんだ。」
「十分幸せだ。」
「いっちょ頑張るか。」

こういう自分の受け止め方を
あなたは不幸だ、あなたは辛い、あなたにはできない、
と他人に決められるのがまずい。


それでも善意の人はわからない。


「えっ? 不幸な前提条件は動かせない事実でしょ?
私が不幸にしたわけじゃないんだよ?
だからちゃんと励ましてるんだけど?
私の励ましを待ってる人やありがとうと言う人もいるんだけど?」

 それを待ってる人が確かにいるという話は後で書く。

以下、そうやって善意の言葉を投げかける人を便宜的に幸せ教と呼ぶ。
(注: 実在の団体、宗教とは一切関係ありません。)

僕らはみんな「幸(善)、不幸(悪)」を教えられて育つので
みんな幸せ教の教えを知ってる。
この記事はそんな幸せ教から解脱するための記事だ。


不幸になりたくなければ、幸せを追い求めるのをやめよう


幸せ教の教えは単純に言うと、
世の中には「幸(善)」 と「不幸(悪)」があるので、
不幸を無くすため善い行いをしましょうということ。

僕の主張は坊主や禅のような話になるけど、
「幸せ(善)」に執着するから「不幸(悪)」が生まれるわけで
なので一度この「幸、不幸」という考え方をやめよう。
そういう視点をひとつはもとうということ。


そこにあるのは「事実」と「受け止め方」のみであって、
「不幸な受け止め方」をわざわざ外から押し付けてはいけないということだ。
それが無意識の押し付けでも。


イヴは不幸だと思うだろうか?


極端な例で説明すると、人類が過去にイヴ1人しかいなくて、
そのイヴが宇宙人にレイプされて、次の日は嵐に巻き込まれて、
その次の日は腕を骨折するような大怪我をしたら
彼女は自分を不幸だと思うだろうか?

僕から見たらそれは不幸に見えるかもしれないが、
それは僕とイヴの比較によるものだ。
もしこれが現代人で無人島に流れ着いた女性に起こったことなら、
その女性は涙も流すし、早く家へ帰りたいと
自分の不幸を嘆くかもしれない。

しかしイヴにとっては
ただそれらは抗い乗り越えるだけの当然の障害でしかなく、
不幸だと涙するための比較対象がない。
比較する女性も、思い返す文明も社会も過去にないのだから。


そんなイヴを現代に連れてきたとしよう。
幸せ教の大多数は一斉に彼女をかばうだろう。
「君はとんでもなく不幸なんだ」と。
その不遇をみんな善意で必至に理解させようとするだろう。
いつしか、彼女は他者と比較することを"知ってしまう。"
「他者と比較したら」自分がどれだけ不幸なのかを。
そこで初めてイヴは善意の人と「共感」し泣き崩れ、
それを受け入れて「不幸」が発生する。


つまり、イヴ1人だけだったら「不幸」は発生しない。
イヴが確固たる自立心を持ってても「不幸」は発生しない。
善意の人がイヴを憐れみ、同情して、「不幸な女性」と扱い続け
イヴが他者の同情を受け入れた時に「不幸」が発生する。


事実は一つ、受け止め方はさまざま


だが、幸せ教の人はそれは詭弁だと考える。
そんなふうに目を背けても、やはり事実は1つの「不幸」でしかない。
事実も「不幸」もくつがえることはない。
それでも我々は「幸せ」にならなければいけない、と。


確かにそれは事実の受け止め方の1つだ。
だが1つでしかなく唯一ではない。
ここで僕が問題とするのは、
「事実の受け止め方による精神的ダメージ」である。
しかも何度も何度も他人から受けるダメージだ。

自己が確立できてない人であれば、
さらに自分自身で己の不幸を一生裁き続け、
自分自身へダメージを与え続ける事も「よく」ある。
幸せ教の教えだと、幸せになれない奴は
この精神的ダメージを罪として一生受け続ける可能性があるのだ。


「幸せ」とはなにか?


善意の幸せ教はそれでもイヴを救おうとする。
彼らは永遠に幸せを追い求める教団だからだ。
当たり前だが前提としてまず「不幸」でなくてはならない。
「幸せ」とは何か?といえば、
誰も一般化した定義はできないが、しかし
「不幸」との比較でのみ「幸せ」を定義し実感することができる。
イヴの「不幸」が大きいほど、幸せ教の活躍しがいがある。


幸せ教にある救い


幸せ教にはちゃんと理にかなった救いがあって、
まず、「涙をながすほど追い込む」
という行動があげられる。

涙は感情のリセット装置となるので、
流し尽くしたら開き直りやすくなる。
全員で「おまえは不幸だ!」と追い詰めたらそこまで持って行きやすい。

みんなで共感して大量の涙を流せば、
不幸も洗い流されそこから前向きになれる。
そうすれば青春ドラマのような幸せへ歩き出せる可能性がある。
これが幸せ教が意識的に望む結末であり、
涙は流さなくてもうまくいくことだってある。

この方法は幸せ教への良い意味での洗脳でもあり、
ここまで追い詰められてみんなの前で涙を流せたら万事OK。
幸せ教の信徒としての自己も確立できるようになる。


幸せ教の土台


だがこの追い込みがまずいと、
善意で追い込んだ「お前は不幸だ!!」という
無意識のダメージから立ち直れないままとなる。
被害者は自分をいたわってくれる善意の信徒を
攻撃するわけがないので、代わりに自分の不幸を呪い、
ヘタすれば自分を傷つけたり、それ以上に、、、とてもまずい。


幸せ教が素晴らしく完成されてるのはこの点だ。
うまくいく幸せな場合と、うまくいかない不幸な場合が共存していて
意識せずに不幸の比較で幸せを強化している。
全ての幸せを望みながら、そのために善意の言葉を施しながら
全てが幸せにはならないのだ。
不幸な奴がいるから幸せが得られる。
幸せ教の人は意識の上では全くそんなこと望んではいないが
結果そうなる。

自分の幸せを実感したければ


幸せ教の信徒達は意識では他者を幸せにしようとして、
無意識では逆になる。
本質的には自分が幸せになりたいのだ。
だからこの発言をするとき、一片の矛盾も感じていない。

「(アナタは無理してるけど、)無理しなくていいんだよ。」
「(アナタは幸せではないから、)幸せになってください。」
「(アナタは頑張らないとダメ、だから)頑張ってね。」

意識では善意で心優しい信徒ではあるのだが、
無意識では他人の不幸を願い、
不幸を比較して自分の幸福度を高めてる。
その善意が相手の羽をむしってるのに気づかない。

いや、実はその構図に気付いてる人も多いが、
自身の絶対的な善意は否定しようがないので、
偽善と指摘されても堂々とやる意義があるのだ。


幸せ教と共依存


まるで、幸せ教を自己欺瞞の悪い宗教のように語っているが、
そういうわけでもない。
自己確立ができない同士の人で相手の羽をむしっても、
「私がいないとあなたはダメね」
「君がいないと僕は何も出来ない」
という共依存の関係にまでもっていけたら
とても社会秩序が構成しやすくなる。

母と子や、上司と部下など、人間社会は大なり小なり
さまざまな依存関係にあるから、
無意識に自立させまいという力学が働く。

別にその関係でしか自己を確立できないというのはよくあることだ。
全ての人間が独立し、自立する必要もない。
人がお互いに依存しあうには悪くない仕組みとなる。


励ましも、同情も、憐れみも、幸せ教では許される


幸せ教の善意の言葉を待ってる人というのは、そういう
自立しづらい人間関係であって、そこに大きな需要がある。

増田みたいに事実の受け止め方を自己コントロールできる
ようなことを言うとこう反発されるだろう。

「人の目も気にしない強者の理論はどうでもいいが、
人にどう見られるか気にする弱者は優しく守らねばならない!!
現に私の優しい言葉を必要としてくれる人達が現実にいる!!」

といって幸せ教が反発するのは、善意を信じているし、
善意が良い結果を出すと信じているし、
強者の理論は弱者を傷つけると考えてるし、
障害者を健常者と同じように扱ったら傷つくと考えるから。
無意識では供給者としての存在意義に関わるからでもある。

ただ、自分がいなくても独り立ちできるとは信じていない。
だから共依存なのである。
意識では自立を助ける側であり、
無意識では自立の足を引っ張る側になる。

幸せ教は声が大きい善であり正義なので、
表立った反論はしづらいが、
僕の主張は、幸せ教を必要としてる人が確実にいるならそれはあってもいい。
しかし、幸せ教でない人が何かの被害者に対して
どう接していいかわからないとすれば
「善悪や強者、弱者、幸、不幸の視点から離れて、日常として前に進もう」だ。
自分だっていつか弱く衰えて死ぬのだから、
助けを必要としてれば出来る範囲で助ける。
できなくても同情はしない。
でいいと思う。



補助線


それでも、ひどいことがあったのに
あっけらかんと「日常」を演じて接することなんかできない。
という善意の人には、こういう「補助線」的な考え方もある。


ここで日常の自分と、不幸な相手だけを比べると確かに戸惑ってしまうので。
今ウクライナがどろどろに割れてたり、
インドでよりひどい女性人権侵害があったり、
エボラウイルスで運悪く死んでしまった患者や、医療スタッフとか
現時点で進行してる世界レベル不幸の補助線のどの位置にあるかと考えると、
極端に離れてた不幸が相対的にだいぶ小さく見える。

不幸の比較だと自分が幸せの上から目線で引け目を感じるなら、
自分よりもっと幸せだと思う人達の補助線を引けばいい。
ただの事実であって、憎んだり嫉妬する必要はない。
さらに、その犯人の生い立ちをいろんなキャラクターで補ったり、
それこそ被害者の自分の知らないキャラクターや価値観を想像したり、
レイプ犯が被害者に諭されたり、
銀行強盗が人質と結婚する可能性だってミクロの可能性がなくもないし、
これから被害者が幸せになる補助線もあって、
世界の地方の性に対するおかしな文化や風習の補助線や、
時空、妄想レベルでのいろんな補助線を
それぞれの要素を善悪抜きで掛け算したら、
物語は何十パターンにもなり、
自分がその可能性を無視して全てを見て体験したかのように
勝手に相手の幸、不幸を決めつけるのはおこがましいと思えるがどうだろう?

相手がそれを態度で表明してから裏の心情なぞ勝手に推察せず、
そのまま受け取る方がお互い良いと思う。


ちなみに明石家さんまは、こういってます。


ほぼ日「さんまシステム」の魚拓まとめ - teppeis blog


さんま

もう、なんていうんでしょう。
辞書から消したほうがいいようなことばが
たくさんありますよね。
「苦労」なんて消したほうがいいし、
「努力」っていうのも消したいし、
「幸せ」も消したほうがいいですよ。



リンクの記事だとわかりにくいですが、他の番組での発言からすると
どれも当たり前のことで例え状況がどうあろうと
「今を実感して行動するだけ」しかない
とのこと。


この さんまシステム という糸井重里との対談も
面白いしためになるのでオススメ。



関連:
「生きてるだけで丸儲け」の意味 - 旧・teruyastarはかく語りき

2014年11月1日土曜日

新卒プログラマに当事者意識を持たせるには?

うちの新卒プログラマが才能無いっぽいんだが、判断してくれないか? : IT速報

「とりあえず動く」の認識だから、
大規模開発やら仕事ではどうしてそれがまずいかまでの経験がない。

プログラムと文章構成力は相関関係あるので、
わかりやすい日報を書く、添削するというのはあり。

ネットに点在してる炎上案件の記事を1日1回読んで調べると、
「人の振り見て我が振り直せ」 という意識が身につく。

リーダブルコードやハッカーと画家など、
スーパープログラマー達が何をやってるのかを1日1章読み
その業界の上限と下限を認識する。

一番当事者意識を持つようになるのは
「プログラムを教える側にまわること」 だから
上記の件で勉強になるのは新卒よりもむしろ>>1 。

なら新卒を2人雇って彼らだけで責任をもって小さな社内案件を任せ、
お互いに学び教えあうというのを繰り返すのがいいと思う。
その際、厳密な条件を追加しながら、
同じ案件を0から組み直し繰り返すのがベター。

例えば「テトリス」を1から作りなおすたびに、
省メモリで高速で手触りをよく機能追加するほど、
土台の基礎レベルが上がっていく。
10回も作りなおし究極のテトリスが出来た頃に
次のステップへ進むなど。


こういう関数の組み合わせで値を更新していく設計かなと思う。

「男女平等」なんて言わなくても女性はそのうち全ての権利を獲得する。

マツコ・デラックス 日本における「男女平等」の盲点に苦言 - ライブドアニュース

 さらにマツコは「これまでは男の人の基準に女の人を合わせることが平等だった」「『男がしてることもしていいよ女も』っていう男女平等だった」と男女平等の仕組みを説明してみせた。

そんなマツコが考える男女平等は「女の人が男になろうって無理をせずに、男と同じ権利が与えられる世の中にならないと、ほんとの平等じゃない」と力説した。


番組見てないのでこの前後をしらないせいかもしれないが、
権利だけでそれにともなう義務の話がないからわからなくなる。
男性社会がやってた義務なんてやらないけど権利だけくれという話ではないだろうし。
「給料」に置き換えても同じ。


 でもこれを逆にしたらマツコが味わった苦労が忍ばれる。

「男の人が女になろうって無理をせずに、女と同じ権利が与えられる世の中にならないと、ほんとの平等じゃない」


 オカマにも人権を。デブにも人権を。 美醜や好き嫌いで人を決めてはいけない。こうすると疑うのは自分の偏見とか常識なんだろうが、偏見ってただの好き嫌いなので、まあ好き嫌いレベルになると僕も自分の盲点なんて見えない。

もし、デブでハゲでチビで顔が荒れてブサイクで収入もない四十路だが、家事は完璧にこなせるという男性を主夫として迎えて喜んで結婚しますとまで言えたら、ほんとにイケメン高収入と差別しない平等な人なんだろうけど、そんな平等必要だろうか?

男女平等についてマツコは「男の世界に合わせられる女の人じゃないと平等には結局ならないもんね。女の感性のままで勝負しようと思ったら、相当無理だよ」と苦言を呈した。

むしろ女性の感性が少ない社会だからこそ勝負できるとか、それこそ育児を経験したからこその視点やアイディアだとかのニュースや記事こそよく聞くのだが、女性の感性では勝負にならないなんて、煽り過ぎじゃないか?

 女性政治家が増えていることについては「スカート履いてるだけで、中身は男じゃん」と一刀両断した。

いや、中身男で知的な女性とか好きですよ。むしろ女性の権利を勝ち取っていくのにその狙いは悪くない。


男性社会の大会社で昇進が難しいとしたら、できる女性が起業したらいいし女性起業家は実際に増えてる。

そして国民の最大の権利は投票権だが、これは全成人女性に与えられていて、女性議員に有利だ。趣旨とは反するけど、少し綺麗な女性議員が選挙に出たら男性の浮動票は間違いなくそちらに多く入るし実際に勝率は高い。女性は女性権利を増やすために女性議員に投票したらいいし、男性と互角の組織基盤を持ってたらその分確実に勝てる。どこぞの国の首相や大統領は女性だし、YahooのCEOも最近女性になったし、ほっといても女性の権利は増えていく。

どちらかというと問題は「前に出よう」という女性が少ないことだ。手を挙げる出馬数が圧倒的に少ない。女性が前に出た時、男は敵にならない。男は世間の前で女性を攻撃できないし、攻撃すればよけい同情票が集まって奮起したり、その男に巻き込まれないよう男同士からも距離を置かれる。この時の敵はむしろ同じ女性。横並びで大人しくしてるところから抜け出す女性を攻撃するのは同じ女性だ。さっき綺麗な女性議員に男性の浮動票が入るといったが、女性の浮動票が入るかどうかはちょっと怪しい。

なので日本の女性が欧米で好まれるような「男らしくて知的で前に出る女性」を狙うのはそれこそ欧米が女性の権利を日本より勝ち取ってるように戦略として悪くない。ほんとは全部知ってるうえで、女子会の中ではずいぶん男らしいのに「あえて何も知らないふりをするカワイイ女性」路線で行く限りは、前に出る女性を同じ女性が攻撃するので女性が起業するのも、女性が政治を動かすのも難しくなってしまう。


ただ、日本で女性の権利が強く叫ばれるようになったのは、それ以前の社会インフラがきちんと整ったうえで、核家族化が進み、シングルマザーも増え、親や親類に頼らずともどうにか最低限の生活ができてしまうからこそだと思う。例えば表面的な権利は男にくれてやって、男に稼がせて、家事はオートメーション化や親とか親戚も頼りまくり、内助の功というかその知恵で悠々自適に旦那をコントロールするのも幸せなんだろうけど、それができない格差と核家族化が問題だ。

男性と同じ権利が貰えたら、女性の地位が向上したら女性は幸せになるだろうか? 戦前戦後に比べたらずいぶん女性の権利を獲得したがそれだけ幸せになっただろうか? ヒトラーは女性が社会進出すると国が衰退するといったが、それは女性が仕事に夢中になるほど晩婚化が進み出生率が減り人口減に転じ、全ての社会保障が成り立たなくなるほどの重い税がかかる悪循環の可能性を指したものかもしれない。

権利には望まない義務もついてくる。平等と言われる時は「権利」だけ欲しくて「義務」を語らないことが多い。でもこの話は資本主義が進み格差が厳しい人達をどうするか、彼女らの義務は免除すべきではないかということにまでつながるだろう。

男性と同じようにキャリアも積みたいし、子供もたくさん産みたいし、産休はきちんと休みたいというならそれは多いに賛成で、そのための権利や格差を具体的に解消しよう、それを補う施設や結婚してなくてもシングルマザーでも協力してサポートしようと前に出てくる女性がいたら投票しようかと思う。

まあそこまで女性が権利獲得できたら「種」だけ保存して好きに遺伝子改良すればいいので「旦那」や「男」はもう人類に要らない気がする。きっと擬似的に雌雄同体となるまで女性の社会進出は進み「男」は「ヒモ」以外必要なくなるだろう。

男が稼ぐのに有利だったのは人間レベルの体力や縦社会が必要だったここ数千年のみ。木の実を見つけるのはいつだって女性だし、社会はソーシャル的なつながりができ、機械化で土方を女性がこなせるようになった今では体力的な有利も小さくなって男性の方が自殺者が多いぐらい。実際に狩りも巣作りも子育ても社会活動を女性だけでこなして男は「生殖」としか機能しないところまで生態が変化した動物や昆虫は結構ある。

今の世の中はマツコ的な人がカミングアウトしやすくなったのではなく、男性の女性化が進行してるのかもしれない。そのうち「男」はジェノサイドされるまでもなく生まれなくなってくる。そこでやっと女性はすべての権利と義務を獲得しこの問題は解決するはずだ。


将来は女性だけになるかもって知ってた?「男性のY遺伝子が1,000個→78個に減少」 | ニコニコニュース