2015年1月6日火曜日

日本のケータイメーカーはなぜ敗けたのか



日本のケータイメーカーはなぜ敗けた、という問い

その後iPhoneが登場し、市場はまたひっくり返りました。
当時、日本の通信キャリアもメーカーもスマホを軽視していました。
3Gを世界に売らなかったこと、スマホを作らなかったこと、
の2点の失敗で現在に至ります。
わかっていても、日本市場が大きく、
通信キャリアに依存すれば食えた面はあります。
政策の適否を指摘する声もあります。
でも状況とチャンスはサムソンもアップルもさほど違いはなかったはず。

それはつまるところなぜなのか。ぼくにもわかりません。
結局は「経営者」の問題に行き着くのでしょうか。

だとすると、経営者を育てるにはどうするか、という問題となります。
日本はプロ経営者が少なく、社内から叩き上げてきて経営者となるため、
経営者に強く意見する風土に欠けているといいます。
でも、トヨタのように同族経営でも世界に伍す企業はあるし。
ソニー、ホンダ、ユニクロのように創業者が経営者として世界的な企業を育てたこともあるし。

もちろんその問いへの答えをぼくは持ちあわせてはいません。
そこで「学」がすべき仕事は何があるのだろうかと考えこむ次第です。


理由がいろいろありすぎて決め手に欠けますが、
Appleと日本メーカーで毎回引用するのはこれですね。

Shu Uesugi
アップルで働くまで、イノベーションというのは
「今にない、新しいものを作ること」だと思ってた。

でもそれは違って、イノベーションというのは
「未来にある普通のものを作ること」なのです。
この違いを理解できるまでかなり時間がかかった。

キャリアを見て商売してるわけでもなく、
メーカーを見て商売してるわけでもなく、
顧客を見て商売してるわけでもなく、
未来を考えて物を作るということ。


でも、そういう訳にはいかないですよね。
イノベーションのジレンマというか
未来はこうあるべきというのは、
たいてい今ある利益の仕組みを
壊して再構築する必要があります。


キャリアと顧客だけ見ていたら、メーカー管理のAppStoreと細部までメーカー主導のiPhoneをキャリアに売り込むという発想ができない


仮にiPhoneを当時の日本のメーカーが作った所で
肝となるOSをメーカーが握って、
当時キャリアのimodeでさえ10%のテラ銭だったところ
アプリ販売の30%をキャリアでなくメーカーが貰い受けるとか、
仕様を全部1メーカーが決めるとか、
TVもみれずキャリアが構築するおサイフ携帯も使用できないとか、
そんなの絶対キャリアを通らないでしょう。
全く話になりません。

だからそんな夢物語なプロジェクトは議題に上がるまでもなくボツです。
いかにメーカーの仕様に沿って、顧客に売れるものを作るかで
勝負することになります。
でもそれだと顧客が自分でも気づかない
本当の需要へは手が届きにくい。


未来を考えたAppleはゲリラ戦にでた


そこでAppleがどうしたかというと、
他のメーカーのように最大手ドコモの顔色をうかがうのではなく、
キャリア最下位で当時は電波状況も悪い
ソフトバンクと交渉したわけですね。
本国アメリカでも最大手のベライゾンではなく、
最初はAT&Tでの独占販売となりました。

ソフトバンクやAT&Tとしても、
利益の源泉となりえるテラ銭ごとAppleに取られ、
最優先でiPhone有利に売るというのは
かなり厳しい交渉だったと思いますが、
最大手と闘うためには致し方無いでしょう。


そういうゲリラ戦なら日本のメーカーもできないことはないのですが、
それをやったらドコモやauは手を切って全力で潰しにかかったでしょう。
電波利権を手に入れた大手キャリアは官僚との関係もあるので、
まだない規制をチラつかせることもあるかもしれません。
新しい未来を作るためにキャリアでもないメーカーが、
キャリアの構造から変えようというはどれだけ無茶な話か。


交渉と組織の全体最適化


しかし部分的な話では無茶でも、全体的な話では無茶じゃありません。
キャリアはiPhoneで定額通信料が増え、
契約数が増えたら利益も上がるからです。
相手の弱みと自分の強みとを
うまく全体最適化として交渉できたら良いのです。

 部分最適化に特化して部門のつながりが薄いと言われる日本のメーカーは
そういう文化からなんとかしないといけなくて、
官僚もキャリアも自らの責任部分しか見ず全体を考えれないような
組織構造になってますから交渉も大変になります。


全体最適化が難しいのは部門や人の評価に至るまで
組織構造そのものを再設計し直さないといけないので、
今までのやり方で大きくなったメーカーでは
それぞれの利権やプライドとも異なり反発も必至でしょう。


Appleとサムスンはブラック新興企業


今回Appleとサムスンが例に出ていますが、
実は彼らは古いようで新興企業です。
AppleはMacのシェアが無くなっていく中の倒産寸前を
(独占禁止法を恐れた?)Microsoftに助けてもらい、
ジョブスを再招聘して容赦無い大改革を行いました。

サムスンは2代目会長が「第二創業宣言」「親と子供以外全て変えよう」
と、朝7時出社とかわりとブラック的な大改革を断行しつつ、
97年のアジア通貨危機で倒産しかかりながらも、
世界中から頭のいい人を集めて、自分達が何をすべきかと
当時の「DRAM」「液晶」「携帯」に資本と人材を集中させ
そうとうな痛みをもった大改革をやって生まれ変わったわけです。

そんな軋轢を産むような、
会社を根本から変えてしまうような大改革は
日本がアメリカが韓国でも普通はなかなか出来ないでしょう。


大改革じゃないと組織は変われないのか?


組織が変われないなら、別に組織を作ればいい。

という考え方もあります。
良い例がソニー・コンピュータ・エンターテイメントです。

ソニー100%子会社でありながら、
全くソニー本社のやり方とは違う経営で、絶対王者だった任天堂を脇に
ゲーム市場を2分するほどの活躍を見せました。
ソフト面では任天堂に煮え湯を飲まされ続けたナムコと、
インディーゲームかと思わんばかりの新興ゲーム企業連合という
これもかなりゲリラ戦的な展開でしたが、
昔の殿様商売から抜け切れない任天堂に嫌気がさしてたメーカーは多く
奇跡的なトップシェアを取ります。


また、セブン-イレブン・ジャパンも、
イトーヨーカドーの子会社で、
定価販売の小規模小売店なんか成立するわけないと
役員から大反対されてところ、
今やセブン&アイ会長の鈴木 敏文が自らの責任で子会社設立となり、
少ないスタッフながら苦心してなんとか1号店を開拓し、
本家のイトーヨーカドーより大きな商売へ発展させました。


imodeを作ったNTTドコモも、NTTの子会社だったのが親より大きくなって
歴史的に新聞の子会社のラジオ会社が、親より大きくなって
ラジオ会社の子会社のテレビ会社が親より大きくなったのですから
イノベーションのジレンマを避けるには、
かわいい子には旅をさせて、親を超えよ。
という回答もあるんじゃないかと考えます。


まあソニー・コンピュータ・エンターテイメントは、
PS3にコストかけすぎたのと、
本家ソニーの会計、戦略事情などで
本体に吸収されてしまったのがちょっと残念ですが
吸収してなおONE SONYとして
全体最適化ができるのならまだ可能性はあるでしょう。



と、かなり抽象的理想論ではありますが、
組織のあり方から問われるなら、
一回本社が潰れるぐらいの痛みをともなうか
新しく子会社作りなおし、
Appleやサムスンはそれぐらい充分クレイジーなことしてる
というのが記事の問いかけに対する僕の感想でした。

2015年1月3日土曜日

男性店員への提案。男性は男として扱い、女性は人として扱おう。

「文庫女子」フェアが色々ひどすぎた - 田舎で底辺暮らし


この話、ブコメで企画者の差別意識が
にじみ出てるかのように言われてるけど
多分逆で、差別意識がある人はむしろ女性のお客を
軽く扱ってる事に気づくと思うんです。

男が女性から勧めるモテる文庫本とか言われても別に怒らないので、
そういう男向けの企画を安易に男女置き換えただけで
差别どころか性差も考えてないでしょう。

そうすると
「女性を女性として扱って何が悪いんだ?」
と男性店員は思うかもしれないけど、
女という単語がもう蔑視の意味で受け取られかねません。


というのは、男が男扱いされてることに
コンプレックスを感じる人はほぼいないだろうけど
女が女扱いされることにコンプレックスを感じる人は多いからです。
(コンプレックスを持つのが悪いわけではない)

というのは「あなたは女だから」とか 「女のくせに」
という圧力が日常的にあるからで。
それで男よりもチャンスを貰えないとか、
セクハラになったりもします。

恋人でなければ基本的に女性扱いせず、人として扱うのが無難。
もちろん重いものを持つとか、たまにレディーファーストとか
洗い物や片付けを平等にやるとか
人と女性の多少の距離感は測る。



「いやいや女だからとか、女のくせになんて言ったこともないし、思ってもない。こちらにそんなつもりは一切ないのだから被害妄想では?」


ええ、大半の男性がそう思ってます。
僕が経験したいろんな職場でも、
女性だから出世を阻まれるなんてことはなく
男でも管理職になりたがらないぐらいなので、
責任取る人なら女性も上に上がるのが普通でした。
といっても、もちろん見えない所で
そういう男性上司もいるのでしょう。


でも、女性により圧力を掛けるのは同じ女性です。
仕事場の女性とか、気の合わない女子会とか、ママ友?とか
ご近所付き合いとか、母親とか、姉妹とか。
全部が全部というわけではないですが
女性を女性として蔑視して、足を引っ張るのも女性だったりします。
そういうのは僕ら男から見えづらいわけで、
単なる被害妄想ではないんですよね。


ダサピンクだからこそ悪意はない



僕らにとってダサピンクやふにゃふにゃフォントは、
ただ男女を分けるための記号でしかありません。
デザイナーでなければ男にはダサブルーと、
フォントはさらに適当な標準の明朝かゴシックでも使えばいいと思ってます。
それはトイレの記号に赤い●◀と、青い●▶を使うぐらいの意味でしかありません。

でもそれをマーケティングとか、POPに使ってしまうと、
「えっ、ここで性差を付ける必要ないよね?
女だと思ってバカにしてるの?
子供じゃあるまいし、
女はピンクにして丸い文字使ってれば食いつくと思ってるの?」
なんて思われかねません。
トイレの記号が赤で何が悪いんだ?では通じません。
大半の場合「女性」とか「女子」という言葉を使う必要はないんです。
だから「女性」ではなく「人」として敬意を示すことが大事。


もちろん女性がみんなそうかというと、
そんな圧力もなく純粋に真っ直ぐ育った人もいるし、
こういうことに反応して面倒くさい女だと思われたくない人もいるし、
僕らみたいに一定の割合でひねくれた考え言葉の意味を細部まで汲み取る女性、、
じゃなくて「人」もいるということです。
本をよく読む方なら尚更ですね^^;


なので、今回の「文庫女子」企画や男性店員をフォローしたいのですが、
あれは完全に男性目線から、男女をそのまま入れ替えても
「女性」そのものが蔑視にあたらない
と考えれる人達だからこそできる企画です。
「女子の意見を一切聞かずに」という一文にあるように、
注意する女性社員は最初からいなかったか、
ほとんどはこれを注意したら負けだと思ったのではないでしょうか。


だから、女性に対して無自覚な差別意識があるわけではなく、
むしろ男性の視点でただ女性に置き換えてしかない
男子中高生が女の気持ちをわからないといってるもっと低いレベルなので
そういう場合は、ほぼ悪意がなく
ただ女性の扱いに関して子供なんだと思っていただければ
無駄な争いも減って幸いです。

むしろ悪意があればちゃんと商売として、
女性心をくすぐる手段も使ってくるはずですから。


ということで、あえて性差を分けてキャンペーンをする場合は
男性は男として扱い、女性は人として扱おう。
という男性店員への提案でした。

シュレックが突き付けるPC(差别偏見)表現について。


前回に続きPC論が盛り上がってるようです。

※PC:  ポリティカルコレクトネス
差別や偏見のない公平さ(からみた表現)のこと。

ベイマックスの「政治的正しさ」とクールジャパン - Togetterまとめ

 ベイマックス観てきた。すごかった。凄すぎてゾッとした。出来が良すぎる。隅々まで違和感がない。ジャパニメーションの優位性だと思ってたものが完全に取 り込み終わってる。「PCに配慮なんかしてたら〜」ってのが甘えにしか聞こえなくなる。「クールジャパン」なんて一瞬で踏み潰されるぞこれ。

 ストーリーとかキャラクター設定とかのことはたくさん語ってる人がいる通りなんだけど、私は背景の美術の違和感の無さに終始絶句してた。ハリウッドやディズニーの作品で、和洋折衷の町並みが標識看板の一個に至るまで完璧。少なくとも日本の部分はそう見えた。

 こんなもんでいいだろ、って嘲る感じが全くなかった、ベイマックス。予算があるといえばそれまでだけど、それを「不快感のなさ」にここまで注ぎ込めるのかと。格が違う。

 これはそれこそ散々言われてることだろうけど、研究室の描写や各人のこだわりや情熱が一切軽んじられず全部魅力になってることが本当にすごいと思ったよ。工学系の研究室は知らないけど、こういう描き方ならイラつかないだろうなとなんとなく思った。

 PCに適合するっていうのは、配慮することじゃないんだな。リスペクトできてるってことなんだ。いろんな物事に対する敬意があるってこと。それをすごく感 じた。PCに適合しない作品はどんどん売れなくなると思う。面白さの質が全く違う。偏見のせいで魅力を取り込めないって意味になると思う。

 日本の感覚がこのままだと、ジャパニメーションやクールジャパンは偏執的なだけのB級扱いに落ちるだろうって言ってたツイートみたけど、その意味がよく分 かった。こういう感性の作品がこれからどんどん量産されるのかと思って、観ながらずっと恐ろしかったよ。これは同じ土俵に乗れなくなるレベル。

 「これは男の世界」「女は観るな」「アナ雪は男を軽んじてる」等等、狭い縄張り争いしてるのが本当にせせこましく思えるわ……。そんなことしてる間にどんどん置いて行かれるんだろうな。全力で見せつけられた。怖いわ、本当に怖い。震えながら観たよベイマックス。すごかった。


「いろんな物事に対する敬意がある。」
「PCに適合しない作品はどんどん売れなくなると思う。」
「もはや狭い縄張り争いしてる次元ではない。」

この意見と結論はかなり同意です。
 「いろんな物事に対する敬意がある。」というのは
まさに作品作りの本質だと思います。
髪の毛一本、1フレームしか映らない置物ひとつとっても3年間全力を尽くす
なんとなく八百万の神々というか、 総指揮ラセターらしい作品作りで、
こんなとき差別表現で縄張り争いしてる場合ではないという結論も確かに。


でもその間に挟まってる、
「PCに適合しない作品はどんどん売れなくなる」は違うと思ってて
僕は
「細部が適当な作品はもとから売れない」
「細部をきっちり作れば最低限のPCは守られる」
という認識です。

作品から完全に差别や偏見はなくせないし、
見てる人誰ひとりも傷つけない作品はないと思うので、
PCに適合かどうかはあまり関係ないと思います。

「不快感のなさにPC配慮にここまで予算を注ぎ込める」
というのも因果が逆だと思ってて、

「いろんな物事に敬意があれば、
何事も偏見なくフラットに魅力を追求しつづけるので
差别表現というレベルを意識するまでもない。」
のでしょう。


シュレックの突き付ける差別表現


差别、暴言、偏見が盛り込まれた「シュレック」なんですが、




ドリームワークス制作で、アンチディズニーとして作られ
当時ディズニーやピクサーのような
正しすぎるお伽話に飽き飽きしてる人達以外にも大ヒットしました。

ディズニーやピクサーを抑え、
初のアカデミー賞アニメ長編部門を獲得し、
シリーズの興行成績がギネス記録となり
ピクサーと充分並び称される存在です。

『シュレック』が“世界興行収入No.1アニメシリーズ”としてギネス認定! - エキサイトニュース


シュレックは差別される側ですが、
化け物でブサイクで下品で衛生的にも言葉遣いも汚いという
わりとギリギリの不快感を狙っています。

ネタばれになりますが、
エンディングで呪いが解けるフィオナ姫は
綺麗なお姫様ではなく、
ブサイクな化け物が本物の姿として呪いが解けるんですね。
コメディ映画的には笑うところなのかもしれませんが、
シュレックのズレた感覚では「とてもきれいだよ」と言って
ハッピーエンドとなります。

ディズニーを批判したコメディとして受け取るのもいいのですが、
これを正しいありのままの物語ではなく
シュレック全編を笑って受け取れるというのはつまり、
「差别も偏見も作り手ではなく、受け手である観客にある。」
ということを証明しています。

コメディ映画であるはずのシュレックが
アカデミー賞を取ったというのも
我々がいかにありのままの現実ではなく、
ステレオタイプな偏見を通して物事を見ているか、
というアンチディズニーだからこそなしえた事にあると思います。


現実に差别や偏見があって、
それが自然と物語や主人公にあってもいいと思うんです。
興行に関してはピクサーやドリームワークスみたいに
どこまで細部を作りこんで説得力をもたせるかということであって、
「誰も不快にならないよう差別表現は撤廃しよう」
ではないんですよね。


少年少女に与える物語は、ディズニーとマーブルみたいに民主主義で作る物語だけでいいのか?


今のディズニーはピクサーのジョン・ラセターが製作総指揮を取り、
NHKの特番で見た限り、アナ雪もベイマックスでも
ものすごい細かいことにたくさん口出ししていますが、
それはひとつの意見ということで、脚本や監督以外のスタッフみんなで
アイディアを出し合って全員の意見を聞いてブラッシュアップする作りです。
ひとりの監督が全部を仕切って作るわけではない。

(今やディズニー傘下の)マーブルコミックも、
版権が特定の作者にあるわけではなく
マーブルにある版権を沢山の作家が意見出しながら書くという
ハリウッド方式です。

僕は差别も含めた猥雑な作品が沢山ある方が健全だと思うし、
少年ジャンプや、深夜アニメがみんなディズニー方式を目指して
丸くなってほしくない。

一人の作家や監督が突っ走る尖ったものも沢山観たいわけです。
ディズニーやマーブルコミック以外はレーティングして
メジャーで手が届くところには置かないでおこう、
という正義の均一化みたいな世界にしてしまうのは嫌です。

アメリカ人は陽気でなくてはいけないとか、
アナみたいな引きこもりは映画のように
障害を克服して外に出なければいけないという物語しかない世界は
むしろマイノリティに優しくない世界ではないでしょうか?


PC規制などができると悪役が主人公のマンガが読めなくなる


BASTARDや、平野耕太作品はレーティングかけられて、
中高生は読めなくなるでしょう。
そもそもアメリカだと発売もできないかもしれないですが
そういう作品は成人になってからしか読めないというのでは
大きな損失に感じます。

ONE PIECEも「海賊」という点で抵触しそうですよね。


面白い作品で差別表現が無ければ世界で売れる?


売上に関しても、
ディズニーよりPC適合から外れてるシュレックだって大ヒットしたし
それこそ深夜アニメよりずっとPC適合してるはずの宮崎アニメは
日本文化に根付いた作品で
鈴木敏夫のマーケティングによるものですが
世界では売れていません。
PC適合した面白い作品は世界で売れるかというとそうでもないですよね。

どちらかというと、
日本から世界市場に向けたアニメを作ろうと本気で行動するバカが
まだいないか、芽を出してないだけであって、
この手の話で少年ジャンプや深夜アニメと、
世界配給前提のディズニーを比べるのがおかしいかと。


日本のマンガやアニメは最初から国内狙いなのになぜディズニーと比べられるのか?


少年ジャンプや深夜アニメは
国内向けにでさらにターゲットを絞って作られているので
世界配給をA級とするなら、どれだけ売れても最初から国内B級狙いで
闘う土俵が違うのは当然のはず。


それでもよく同じ扱いで同じ土俵で議論されてしまうのは
変身したら強い金髪白人になるドラゴンボールや
最初から金髪白人のNARUTOや、
金髪ロングのセーラームーンがたまに世界A級ヒットしたりするからであって
それだけ前例があるのなら
他のマンガやアニメも世界狙えるんじゃないかと、
クールジャパンとか勘違いするからじゃないでしょうか。

世界狙うなら最初から世界配給前提で作らないと
ジャンプからたまたま宝くじのような
偶然の世界ヒットを頼って比べてもしょうがないわけです。

逆にドラゴンボールのような、TVアニメから
大ヒットの前例がいくつかできてしまったことで
ディズニーのように予算リスクを抱えて世界興行しよう
という芽を摘んでるのかもしれません。


大ヒット作品はそれだけで人を傷つける


あえて差别偏見を気にしても仕方ないと僕が思うのは、
アナ雪も、ベイマックスも、シュレックも、ドラゴンボールも、進撃の巨人も、
表現というものは何かしら人を傷つけるものだからです。
みんなが感動して面白かったといっても、
大ヒットして見る人が多ければ多いほど、
なにかしら腹が立ったり、傷ついたりする人も多くなるものです。

それで作品を見て、
Twitterやブログに批判や文句を書くのは構わないですが
それで終わり。
もしかして作者がそれを見て怒ったり、
次回作で気を使ったりするかもしれませんが、そこまで。

作り手は自分の思考をそのまま表現するのが仕事で、
アナ雪やベイマックスで傷つくかどうかは受けての問題であって、
どういう世界観を信じてその信じてる正義に染まってしまえばいい
という偏見にあると思います。

例えば、女性や子供は守らねばならないとか、
権利はみんな平等になくてはいけないとか、
民主主義として多数派が正しいとか、
日本が異常で多数派の欧米が正しいとか、
(欧米の社会が安全じゃないから世界の常識が歪む可能性とか)
自分では絶対的に信じて疑わない正義すら偏見です。
「世界はこうあらねばならない」
ということがあれば、
自分で疑いもしない正義と、コンプレックスの裏返しが隠れていて
どんな作品にも自分が正しいと思い込んでる正義の反発はあるので、
やはり受け手の問題なのです。

問題といっても、自分の価値観を変えろとか、
違う価値観を受け入れろとかではなく
好きなだけ怒って終わり。
でも、それでモヤっとしたり社会的影響を恐れたりするのは
元々正義も悪もルールもないこの世界や他人を
どういう正義であらねばならないと思い込んでるのか
自問自答するのも悪く無いと思いますよ。



この議論は、日本から世界興行収入ランキングに入るような
アニメ映画が出ない限り続くのかもしれません。
そんなことを目指すバカがこれから現れることを願います。



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2015年1月1日木曜日

少年漫画はジェンダーを気にすべきか?



少年漫画に見られる女体化すれば馬鹿になる表現と女性キャラの性的消費 - Togetterまとめ


このまとめにいくつか反論。

ワンピの主要キャラを女体化したら馬鹿になってて、女性を蔑視している!!


コミックのチラ裏でのことなので
僕には中の役者が余興で女装してるようにしか
見えませんでした。

さすがに、女性としての生い立ちを何一つ考えてないような
中身の無いキャラを劇中に出したら
僕でも覚めると思いますが、チラ裏なんでどうでもいいです。
そのコミックのチラ裏の方が作者の本性と言われても、
どうでしょうか。


ルフィ「オレは強い!」ナミ「助けて…(涙」くいな「女の子は男の子に勝てないの」ゾロ「天国のくいなのために強くなる」、、つらい


ナミはむしろそこまで誰にも頼らず一人で戦ってますよね?
あと仲間になる男メンバー達も
ほとんど同じパターンで泣いてますよね。
ルフィすら負けて大泣きしますよね?

ルフィはナミが女性だから
特別扱いするなんてことしてないですよ。
そもそも男女平等パンチを打ち
クルーに格差もつけないルフィが男尊女卑だというのは
わざわざそう見える部分のみ抜き出してるように思うのですが。


女性キャラが性を消費するような弱者、奴隷という立場で描かれている。


クルーで言えば、日常的にスケベなのはサンジのみですよね。
ナミは女の性を武器としてサンジを使い走りにし、
ジジイや敵を騙し、男を手玉に取る
かなり強い女性として描かれていると思います。

ロビンにしてもサンジを使う側だし、
みんなに守ってもらうどころか
クールで知的な立ち位置から、
ロビンがテーマでない話は全て皆を守る側の役目を果たしています。

男尊女卑どころか
僕から見たら男を手玉に取るような強い女性に
憧れこそするものですが、
なんで彼女らが弱い奴隷に見えるんですかね?

、、アーロンに捕まって利用されたりしてた時のことでしょうか?
だとしたらそこから解放される物語だったのでいいと思うのですが。

それとも色気を出してるというのがつまり、
「彼女らは尾田栄一郎に恥ずかしい衣装とスタイルにされている」
ということでしょうか?

とすると、峰不二子もドロンジョもダメなんでしょうが、
ジェンダーを気にしているであろうハリウッドも、海外ドラマも、ディズニーも
セクシーヒロインが全く出てこないなんてこともないのに、
パンチラすらないONE PIECEに対してだけ厳しすぎないでしょうか?


オカマの表現がひどい。とくにカマバッカ島の扱い。


イワもボンクレも充分カッコイイと思います。

カマバッカ島に違和感を感じなかったのは
サンジのトラウマを深めるための
デフォルメ表現に思えたからでしょう。
それ以外のクルーは深く関わっていませんし。
この程度のことでいちいちジェンダー気にするような
表現には思えませんでした。


いえ、性の不一致に悩むLGBTが20人に一人の割合、
クラスの知人に一人はいたであろうという話は知ってます。
知り合いがそうかもしれないというだけでも
現実でオカマを馬鹿にするようなことはないのですが、
ひとつの漫画に影響されることはありませんし、
「サンジがオカマを嫌い」なだけであって、
それはそういう役として認めてもかまわないし
「他のクルーはみんなオカマと仲良し」なのも素直に楽しめました。


あと、これを否定してる人みんなオカマなんですかね?
あるいはオカマの友人から話を聞いて代弁してるとか?
だとしたらこんなデフォルメ許せないとか
二度とONE PIECE読まないと文句を言うのは分かるんですが、
「きっとオカマの人はこれを見て傷ついてるに違いない!! ONE PIECE許せない!!」
と、勝手に思い込んでるだけだったら
かなり余計なお世話だと思うのです。


憶測だけど尾田栄一郎は男尊女卑でミソジニーで無邪気にまっすぐ育った成功者。進撃の巨人の諫山創はマイノリティで弱い側の人だから人が傷つくことを書かない。


漫画の見方も作者に対しても
ステレオタイプを当てはめて人格攻撃すると炎上しますよ。
差別偏見の話をしているわりには
その言葉で尾田栄一郎や諫山創は偏見だと傷つかないのでしょうか?


3億冊も売ってる国民的漫画の影響力を考えて欲しい。男尊女卑な思想を植え付けるのは危険。


敵側でそういう奴がいたら、ルフィがやっつけますし
クルーではサンジだけです。
そのサンジもナミやロビンを奴隷扱いしてるわけではなく、
逆に奴隷のように従っているだけです。
 

進撃の巨人をはじめ、ディズニーや海外ドラマなどジェンダーを意識した作品を心がけるべきだ。


ONE PIECEは聖書でも教科書でもありません。
ただの猥雑なひとつの任侠漫画です。
尾田栄一郎いわく常に15歳の自分に向けて描かれた漫画だそうです。


それに漫画はONE PIECEひとつだけではなく、多種多様な漫画があり
それぞれ沢山のキャラクターと沢山の思考や思想が衝突しながら描かれています。
生涯ONE PIECE以外の漫画もアニメも映画も見ないというのは問題ですが、
いろんなマンガや猥雑さも含めた多種多様な物語を読む人ほど
多様な価値観を受け入れる素養ができると思います。
無害の温室で子供を育てて
大人になって初めてエロやグロを知ってしまうほうが
むしろ危険ではないでしょうか?

七つの大罪 でカジュアルに性的暴行(あえてこう言う)が行われる事によって「セクハラ」しても許される!だってギャグだもんw胸もむ位で騒ぐなよwwエリザベスは許してるじゃんwwwみたいな空気が醸成されるのを本当に恐れてる。団長、それ普通に犯罪だから。


七つの大罪にそんな空気を作る力はありません。

男からしたらセクハラする奴は子供の頃そのアニメ見てなくてもやるし、
元からしない人は何十回見なおしても一生セクハラしません。

七つの大罪におけるエリザベスも誰にでもセクハラさせるならドン引きですが、
尊敬してる英雄の団長だからこそという関係性があります。
いろんなお色気アニメもある中、特別騒ぎ立てるキャラクターでもないです。

むしろアニメにまでビクビクして日常生活を生きてる人ほど
セクハラの被害に遭いやすいように思うので、
周りの目を気にせずナミみたいにぶん殴ればいいのですが
そういう問題はマンガやアニメをどうにかすれば
解決するような話ではありません。


ジェンダーに気を使う方が世界で売れる。今のONE PIECEが売れる日本の常識が異常で気持ち悪い。

常にアメリカやヨーロッパ(フランス除く)が正しくて
日本が異常なんでしょうか?
その異常な日本の犯罪件数は年々減ってるぐらいなんですが
まあそれはともかく、

アメリカやヨーロッパのそういうロビー団体が目指してる社会って
まさにエログロを子供から徹底的にとうざけて、
日本のアニメもジブリとNHKぐらい、
といってもナディアやCCさくらはだめで
アメリカではドラえもんと、クレヨンしんちゃんですらだめで、
ジャンプも少女漫画も半分以上アウトで、
ハンターハンターもヒソカがいるから通らないだろうし
AKBも、ももクロも、ジャニーズもなく、
スパイダーマンとドラゴンボールとNARUTOだけOKとか
これまでのアニメや漫画、ゲーム文化つぶすような
そんな社会がいいんですかね?


僕は猥雑さが多少紛れ込んでる世界のほうが健全だと思います。
猥雑さがあるから犯罪が減るという意味ではなく、
どちらかというと、こういう猥雑さが許されるぐらい
他国と比べたら安全な国だという証明だからです。

もし、アメリカやヨーロッパが日本なみに安全な国だったら
そこまで厳しい文化の締め付けはなかったと思うんです。
猥雑な文化がどれだけ認められるかというのは
地政学や歴史と安全に基づくものであって、
今の世界基準は日本の安全と全く関係ないんです。

そして日本の漫画原作の邦画はCGの発達により単体で50億や
シリーズで90億稼ぐものも出てきて、
ハリウッドでもオール・ユー・ニード・イズ・キルが大ヒットしましたが
これらも無数の漫画市場があればこそ突き抜けてきたものであって
作家はいちいちジェンダーを気にする必要はないと思います。
日本だけで売れるドラゴンクエストやONE PIECEと、
海外で売れるファイナルファンタジーと進撃の巨人
その両方あってこそより多様な文化が作れるんじゃないでしょうか。


、という理屈はどうでもよくて。


根本的にこの方はどういう世界観と
コンプレックスをもっているのでしょうか?
マイノリティ、弱者というのはわかるのですが、
何か人生の不遇がONE PIECEのジェンダー論と重ならなければ
吐くほど気持ち悪くなるなんてことはないですよね。

ブサイクだとか、デブだとか、ハゲだとかチビだとか、
能力がないとか、自信がないとか、実績がないとか、女性だからとか
自分はマイノリティだから、
男尊女卑の日本では受け入れられないなんて思ってないですかね。

そうだとすると、最初の思い込みがそれを証明するための情報ばかり集めて
自意識が肥大化してコンプレックスとなり、
最初に信じた世界観を疑うことができなくなって
他人の言葉は全部コンプレックスを刺激して跳ね返すだけで
頑なに最初のたったひとつの世界観しか信じれなくなるそうです。

でも世界の見方はひとつじゃなくて、
自分が最初から勝手にそういうもんだと思い込んでるだけで、
相手によっては思いもよらないことを考えてたりもします。

そんなどうしても向き合いたくない自分のコンプレックスの、
その向う側にある最初の思い込んだ世界観、
潜在意識レベルのそれを書き換えようと、
この本に書いてあったのでオススメです。

ちょうど新年ですし
自分の疑いもしなかった世界観を書き換えてみたい
という場合にもいいんじゃないですかね。


なぜ人と組織は変われないのか ― ハーバード流 自己変革の理論と実践
なぜ人と組織は変われないのか ― ハーバード流 自己変革の理論と実践




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teruyastarはかく語りき: シュレックが突き付けるPC(差别偏見)表現について。