2014年9月9日火曜日
「仕事のやりがい」を絶対視しない社会
評価経済社会(岡田 斗司夫 )についてそろそろ言っとくか - orangestarの日記
↑この記事読んだ感想ですが、評価や信用が金になるのは昔からそうであって、僕も完全に置き換わることはないと思います。何か一つ物差しが必要で、それが貨幣の役割。
ただ、昔から生活に必要な一定以上のそれより稼いだお金というのは食うためといざという時の蓄え以外は「見栄を張るため」に使ってきたわけです。食べて生きるだけならいざという時でも日本は生活保護の保証もあります。
するとネットの無料の発信力でたくさんの承認を得られる人、Twitterのフォロワーが多かったりRTされたり、Facebookのイイねをいっぱい貰ったりする人は、昔ほどお金をかけなくてもそれで充分見栄を張れるのではないでしょうか。
また、ネットに流れるコンテンツは無料の圧力がかかりライブなりグッズなり広告なりと、コンテンツそのものではなく一つ上のレイヤーで儲ける必要があります。相対的にネットの気軽なコンテンツは無料化に近づき、暇をつぶすためのお金も無料分を楽しむ分にもお金はかからなくなってきます。
評価経済的な価値観が浸透してくると一人暮らし年収300万、、4人家族で5-600万ぐらいをひとつの貨幣経済のクリア基準として、後はバカやったり真面目にやったり仕事以外の人生を楽しむことで評価を稼ぐ方が楽しく生きれるかもしれません。人によってはもっとこの基準を下げられるでしょう。踊ってみた、歌ってみた、作ってみた、それこそコミケなどの評価などもそうです。
すでにそうやってる人には当たり前の話かもしれませんが、まだわりと大半の大人、特に男性は「仕事」と「やりがい」を同一視して「お金を稼ぐことが唯一の絶対価値基準」と定年まで燃え尽きる人は多いと思います。このブログ見る人には少ないかもしれませんが。
評価経済という考え方で参考になるのは、「稼ぐお金」とバカやったり見栄をはったりの「承認を得る評価」を別々に分けて考えた方が生きやすくなるんじゃないかということ。そして生きるための貨幣よりも、承認を得る評価の価値がどんどん高まってるのではないかということ。貨幣はなくならないけどもある一定以上稼いでも昔ほどライフスタイルが変わらなくなる。
勉強できるやつが評価と承認を得られるのではなく、普通程度に勉強できて、その上で何か部活やってたり、特技持ってたりする方が楽しく生きられる世の中。ただ楽しんで無料でやってた承認も評価も、世界ではゲーム実況プレイ動画で億を超えるユーチューバーみたいな人も出てきてます。こういう人は一部なのであえて目指すと仕事になってしまいますが、楽しめば楽しむほどそういうボーナスもありうる評価です。
苫米地英人氏が言うは、日本だと年収3000万と数億円の生活レベルにたいした違いはないそうです。船持つにもプライベートジェットもフェラーリも、規制が厳しくてその能力を自由に発揮できる場所もなく高額のお金を使う場所がない。評価経済的な物がネットで進むのならその3000万がいずれ1000万ぐらいまで縮小するかもしれません。
高度経済成長期は終身雇用で、「植木等」や「釣りバカ日誌」が許されてた時代です。植木等やハマちゃんみたいな人がいる余裕があった。その余裕が文化を育みます。長年の不況と成果主義からはそんな余裕もなくなってしまいましたが、身内だけでゲームセンターCXやってたのが世界で評価される時代になると、そのうち仕事サボって社長と社員でコミケにでかけるとかいろんな文化を育てるのではないでしょうか。ドワンゴの超会議なども単体でビジネスベースにはなく、素人から野生のプロまでいろんな人の居場所を満たすようなイベントで、ビジネスはその何段階か上のレイヤーにあるような気がします。
「お金を稼ぐ事」と「人生を楽しむこと」がイコールではなく、人間の承認欲求は金銭欲求よりも大きい。日本もそのうち24時間闘う仕事人間が減り、ヨーロッパ以上に休暇を楽しむ人が増えるんじゃないか、「仕事」と「やりがい」を絶対視しない「仕事のやりがい」<「趣味のやりがい」という価値観が浸透していってるのではないかと感じました。
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